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2015年6月10日

祈りの心

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戦況の悪化に伴い「お年寄りや子どもが島にいると"軍の足手まとい"になる」とされ、子どもを手元におきたがった親たちを説得して、本土への疎開が始まった昭和19年(1944年)8月。最初の疎開船「対馬丸」が、那覇港を出港して2日目の夜、米潜水艦・ボーフィン号の魚雷攻撃を受けて沈没。犠牲者はおよそ1400人。半数は那覇市等、学童疎開の子どもたち。その「対馬丸」で生き残られた平良啓子先生のお話を、先週、息子の通う小学校で伺った。

戦争は、戦場だけで起こるものではない。
平和な日常も脅かされ、亡くなられた方のみならず、残された人々にも深い傷を負わす。

まだ、戦争は終わっていないのだと、痛感した。

戦争、日常の様々な争い、自然災害や病気感染、
そういったものから子供を守るのは、大人達の使命だ。

環境ごと守って行かなければ、子供達は守れない。
大人がすべき事はなんだろうと、あらためて考えさせられた。

息子が小学校に入学し、たびたび授業参観など、
学校に出入りする機会があり、教育の現場の一端を拝見している。

学校教育に関しては、色々なことを言われているから、
入学前少し心配だった。けれど、
授業の内容はもちろんのこと、集団生活でなければ学べない、
様々な事を体験しているのだと日々、感謝している。

先生はもちろん、ボランティアの方や、父兄、
地域住民のご協力があって、子供達が成長している。
本当にありがたい事です。

子供が出来て、というより、
子供と離れる(学校に通う時間も含め)時間が増えてきて、
より「祈る」ということが、わかってきたような気がする。

沖縄の「神人」と呼ばれる女性達が、自分のためにでなく、
自分の家族のためだけにでなく、村や世界の平和を願う。
それは、身近な人を守るために必要な事なんだと。
少しずつ、わかってきたような気がする。

毎回、旅立ちの前、移動する前には、様々な覚悟をする。

その中に「祈り」が加わり、少しずつ、人間らしくなれてきたよう思えて、
心配事はつきないが、
うれしくも、ある。

・・・さて、と、気合い入れて、頑張らねば!

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このページは、古谷千佳子が2015年6月10日 10:30に書いたブログ記事です。

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