人々 / PEOPLEの最近のブログ記事
2016年6月13日
琉球処分
海人と話をしていると、普通に出てくる昔話。
「琉球処分で、職を失い、糸満へ行って、
子供は売られ、任期を終えてから、この土地に来た」
・・・・と、
歴史の教科書の話ではなく、
自分のおじいさんの世代の話なのだ。
そういう大切な話もいっぱい聞いてきたはずなのに、
周波数が合っていなかったのか。
(でも糸口が見つかると、するすると出てきそう。
脳内、消えてはいないみたい。www)
今の私は、再びすごく聞きたいし、
この意識を外しては、表せない・・・と実感している。
戦前・戦中・戦後の激動の時代・・・
どんな思いで、子供、家族を守り、生きてきたのか。
あの時の子供は、大人になって、何をしているのだろう。
どうやって「つながっていく」のだろうか。と・・・
琉球士族の間で、王国を守るために行われていた
棒術(古武道)や空手など、
今、私は、沖縄を知るために体感したいという
思いもあって、続けているけれど、
「海人オジィのお父は、棒術の達人だった!」って、
ほんのちょっと、早い時代に生まれていたら、
それを見ることができたかもしれないと・・・・
www
今生きている「この時代を写す」ことしかできない。
いやいや「この時代を写すことができる」のだ!
想像力を働かせ、見えない敵を、想定し、
そして、体を動かす。
「形」は、形を追うのではなく、
その動きを通して、先人が何を思い、生きていたのだろうか、
知る手がかりでもある。
(でも形を追い、体を動かすことで、具体的な疑問や質問だ
出てくるから、まずは、自分の姿勢を認めてもらうために、
体得せねば。
・・・と空手と違い、道具を持つと、さらにヘトヘト。)
直接、心身に触れることができる「今を生きる人」が、
一身に受けてきたもの、
受け止めるために、もっと勉強もしないとならないし、
今を一生懸命生きなければならない、と切に思う。
・・・今は、海女。
時間とお金,、現実の壁にぶつかりながらも、
やり通したいと思っています。www
海人も海女も(空手も w )繋げていく・・・
繋がっていくと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
アメニモマケズ
那覇も、ゴロゴロ雷と大雨。
沖縄本島は、昨日に引き続き、
各地に大雨・洪水・雷注意報出ているみたいです。
昨日は、古巣(?W)のヤンバルの入り口の漁協・漁港にて、
秋の企画に向けてのご挨拶等々に。
10年経っても、同じ場所に、同じ人たちがいてくれると、
ホッとします。
オジィたちも、もう80代後半・・・
過去に撮影させていただいた写真と
これから撮らせていただく写真とで、
地元の方にも楽しんでもらえるように、
進めていきたいです・・・
その前に、7月からの撮影準備、段取り、イメージ固め、
などなど、やること山ほどあるのですが。www
全国の海女撮影プロジェクト、
おかげさまをもちまして、
目標金額の58パーセントが集まりました。
残り、17日です。
18日目に、フライト予定で進めています。www
この夏、第1弾の海女取材先は、関空経由→日本海側を予定しています。
3年前から、行きたいと願いつつ、なかなか叶わなかった場所。
それに、
写真業に足を突っ込み、19年。
沖縄の海人と出会い、海の仕事を始めて、23年目。
(今は海人写真家ですが。)
ようやく、出力の方法を、真剣に考え始めています。
(その都度考えていたつもりなんですがね。w)
「撮りながら表現できる、写真」などと、
「吸収と表現(出力)を同時にできるから!」
・・・等と思って、
「油絵」と言う表現手段を「写真」にしました。
でも、全然表現にはいたっておらず、
過去(絵を描く時に)にしていた
「記憶を引き出す糸口」レベル止まりだと、
最近しみじみ感じています。
「撮ったものをまとめて」こそ「写真表現」・・・と。
走り続けてしまった私が、
子育てと平行することで、減速することになり・・・・
七転び八起き。
転んで拾ったものが、
「考える」ということ。www
走るより苦しいんですけどね、
過去は断絶しているのでなく「つながっている」と
感じられ、心底が温まる元気をもらいました。
自分のため、だけでなく、
撮らせてもらった人たちへの、
元気を作れるかもしれない。
それが写真の力なら、
もっともっと悩んで、いい形で出力しないとならない。
・・・と荒れる天気の中、
心穏やかに思うのでした。
頑張って良い写真を撮り、
表現したいと思います。
どうか、皆様のご支援ご協力の程、お願い申し上げます。
2011年12月 2日
いよいよ、明日、パネリスト!
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2011年11月30日
恋人の聖地へ
「内地は寒いんだろうなぁ~」と、ダウンジャケットに、フリース、その他防寒着をモソモソ、トランクケースに詰め、名古屋空港へ。
なんだ、結構暖かいのね。(とはいえ、だんだんと、空気が冷たくなってきた)
そこから、電車とフェリーに乗継ぎ、島にたどり着くころは、外は真っ暗。
夜の移動は、外が見えないので、宿で食事をして、オフロに入っても、なんか「島」に来た気分になれない。
翌朝、外の景観を見て「あぁ、やってきたんだ~」と思う。
だから、夢の中から島での時間が始まるような、不思議な気持ちになる。
想像より遥かに暗い夜。
明朝がさらに楽しみ。
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2011年11月 6日
リフレイン ~外苑スタジオOB会
1997年、私の第3のスタート開始の年。
第1が、実家時代(大学そして短期間の就職時期まで)
第2が、沖縄に移住し、海人(沖縄の漁師)をやっていた海時代。
そして、写真家を目指し、スタジオ勤務した1997年が第3のスタート?
(あるいは第2章第2項?)
それとも、海人写真家になり、がむしゃらに撮影してきた時代が、第2章で、
子供を産んでからが、第3章?
その辺の区切りは、もっと先にならないとわからないが、1997年は、確かに写真家人生のスタートの年だ。
海の仕事から写真業に移行するために、
私が最初に選んだのが「スタジオマン」。
写真機材など、写真撮影について、現場で覚えたい!と思って、沖縄から外苑スタジオに入るために、東京に一時帰国。
ええ~っ、もう14年経っちゃうの~?!
私の写真人生。
(たったの14年?!とも思えるし。不思議な感覚)
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2011年11月 1日
日本列島海女さん大集合!
先週末、三重県鳥羽市で、日本列島と韓国済州島の海女が集まる「海女サミット2011」が、開催された。
海女がいるのは日本と済州島のみ。
日本に18県いるうちの13市町と、済州島からの海女が、大集合!
この夏の海女撮影は、このサミット開催に合わせた写真展示(鳥羽市海の博物館)用のものだったのだが・・・ほんとうに貴重な体験をさせていただいた。
10年ほど前から海女に非常に興味を持ち始め、時々、志摩地区を訪れ撮影。
3年前の第1回海女サミットの情報を入手し、参加。
1年前に、東京で開催された、海の博物館石原館長の講演を聞きに行き、館長と名刺交換した時から、直接的なコンタクトを取らせていただけるようになり、10年以上海人を撮影している写真家、ということで海女撮影を依頼されるに至った。
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2011年10月13日
がんばろう にっぽん!!!
GANBARO NIPPON en France
フランスより、以下のメールが届きました。
***************
第38回マルセイユ国際水中映像フェスティヴァルが近づきました。
今年は気仙沼の津波の被災者への支援を大きく打ち出しております。
半年を経た被災地のドキュメンタリーフィルムを期間中特別上映します。被災者は今も気持ちがまとまらない生活を送っております。
彼らを支える多くの人々が遠く離れたフランスにいることを伝えるだけでも、彼らを勇気づけ若者の行動を支える大きな力になると確信しています。
皆様の周りの方々にウエブやメイルを最大限利用してフランスからの思いを広めていただけると幸いです。
ASSOCIATION GANBALO
発起人 富樫一紀
http://ganbalonippon.jimdo.com/
***********
2011年7月26日
漁村での暮らし
断崖絶壁に張り付くように・・・寄り添うように聳え立つ、宮古島のある漁村で知った光景に、驚いたことを、ここに来て思い出した。
人が自然の中で暮らしていくには、力を合わせないと生きていけない。
集落一つがひとつの生き物のようにさえ感じれられ・・・
「個が全」「全が個」
・・・と。
今、リアス式の地形、湾を囲う数々の島、その一つにある平坦な島に滞在している。
玄関を飛び出しても、車にはねられることがない、ほそ~い路地を挟み、家が軒を並べている。
家の中の会話も、隣近所に全部聞こえてしまうようであるが、
小さな子供が少なく、お年寄りばかりなので、息子をご近所さんがとても可愛がってくれる。
人が自然の中で暮らしていくには、力を合わせないと生きていけない。
集落一つがひとつの生き物のようにさえ感じれられ・・・
「個が全」「全が個」
・・・と。
今、リアス式の地形、湾を囲う数々の島、その一つにある平坦な島に滞在している。
玄関を飛び出しても、車にはねられることがない、ほそ~い路地を挟み、家が軒を並べている。
家の中の会話も、隣近所に全部聞こえてしまうようであるが、
小さな子供が少なく、お年寄りばかりなので、息子をご近所さんがとても可愛がってくれる。
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2011年7月 5日
ミーカガン授与式
現代のゴーグルの原型、ミーカガン。
沖縄で1884年頃に玉城保太郎によって開発されたと言 われる水中眼鏡のことだ。
私は、このミーカガンをつけた海人オジィにを通して、海について色々と教わってきた。
オジィとなって、力だけでなく、心身に刻まれた技で、獲物を捉えるその姿に惹かれて撮影してきたのだ。
オジィの使っているミーカガンは、オジィの顔に合わせて作ってあるから、私の顔には合わないし、
長年海水で使われていて、潮で木がしまっているのか、少し固い顔当たりのような気がしていたが・・・。
沖縄で1884年頃に玉城保太郎によって開発されたと言 われる水中眼鏡のことだ。
私は、このミーカガンをつけた海人オジィにを通して、海について色々と教わってきた。
オジィとなって、力だけでなく、心身に刻まれた技で、獲物を捉えるその姿に惹かれて撮影してきたのだ。
オジィの使っているミーカガンは、オジィの顔に合わせて作ってあるから、私の顔には合わないし、
長年海水で使われていて、潮で木がしまっているのか、少し固い顔当たりのような気がしていたが・・・。
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2011年5月 4日
チームSake
昨年京都で個展をした際に、ギャラリーにご来場下さいましたお客様から、「チームSake」というボランティアチームについてのメールが届きました。
東日本大震災で被害に遭われた地区の中でも、報道等の入っていない小さな地区を支援しているTeamとのことです。
そこで、漁業関係の支援物資を掲示しています。掲示板を見た、人が、全国どこからでも直接支援してもらえるシステムを取っているそうです。
「小さい、チームのため、支援できそうな、漁業関係者に見てもらえないのがとても気がかりで、ほっとけなくって。
もし、古谷さんに心当たりがあったりしたら、助けられるかも、と思い、メールさせていただきました。」と・・・。
必要とされている物資は、漁具に限らず、生活用品等、個人でも支援できるものもあるようです。
サイトは
http://teamsake.blogspot.com/2011/04/blog-post_7570.html
一人でも多くの方に、このサイトを見ていただき、協力できる方が見つかれば・・・と思い、
私のブログでも紹介させていただきました。
この春の京都での個展は延期となってしまいましたが・・・
日本各地に、被害に遭われた方々へ向けての様々な活動がある事を知り、心強く思います。
もっともっと必要なものが沢山あるのでしょうから・・・
私も頑張らねば、と思います。