自己 / MYSELFの最近のブログ記事
2019年7月 2日
19時半過ぎ。
まだ、海に使って遊んでいる子供達がいる。(ほぼ外人)
日が長くなった。
道場内と違って、海辺は風が吹いて気持ちがいいし、
道場でルーを待たせると(ゲームや漫画を持たせない限り、帰ろう、帰ろうと言われ短時間しか)稽古にもならないし、
人目をはばかり、外で練習しようかな・・・と思って、
人がいない場所を探して海辺へ。
(ハブの出なさそうな)端っこていっても、人がいない場所がない。。
その昔、墓で稽古したという琉球の歴史があるけれど、
人気がない場所って、そういうところしかないのかな。
(沖縄のお墓は、時期には大にぎわいだけれど)
サイ振り回してたら、怪しい人。
武器だから、捕まのかな?w
・・・・っていうか〜
ルーと長時間二人きりでいると(いうこと聞かなすぎ)
息がつまりそう・・・怒り爆発、ブチ切れそうになったので、
母さんが家を飛び出した。
でも病欠?の子供、一人きりで、家に置いておくわけにいかないので、電話して「●●の浜に集合!」の命令。
私は体を動かさないと、バランスが取れない。
母さんなりに、精一杯やってるんですが・・・
誰もいない場所で思いっきり、泣きたい。
海の中だと心置きなく泣いた後、そんなことすら忘れられるのに。
2019年7月 1日
比較論
ショートカットにして初めての海潜り。
ショートは、おしゃれな人でないと、ボサボサになる、と切ってみて初めてわかったこと。(中学生以来はじめてなもんで。w)
縛れないと、顔にかかり邪魔だと言うこともわかった。
もっと短くしないとこの問題はクリアできないが、
切ってしまうとこれまた、しょっちゅう切りに行かねばならない。
長ければ1年放置できる髪も(縛ってしまえば問題なし)、ショートはそうはいかないから・・・
経済的にもやはり、「しばれるギリギリの長さ」で、1年おきくらいに切るのが一番経済的なのではないか、と言うこともわかった。
何事も、やってみないとわからない。
やってみて、比較するのがわかりやすい。
いつも「キャップ」をかぶって、海に潜っていたのを、
「ハット」に変えてみたら、、、、、思うように潜れない。
浮いてしまう・・・・のは、なんでだろう?
それは、ハットが、空気を溜めて、浮きになってしまうのだ・・・と言うことも、初めて知った。
いつも同じスタイルで潜り続けて気がつかなかったこと。
そうそう、手ぬぐいの代わりに、クールネックバンダナのを首に巻いたら、これまた、ダメ。
子供たちから預かった足ひれやら、ゴーグルやら、
手ぬぐいは、ヒモとして使えていたのが、バンダナでは都合が悪い。
もう、20年近く、同じスタイルで潜っていたから気がつかなかったこと・・・
今初めて知った。
すごく、自分の仕事、潜りにあった、スタイルだったんだな、って。
そうそう、ハットが邪魔で、潜れなくて、外して潜って気がついたこと。
ショートは、髪が海藻のようにゆらゆらと・・・
潮の流れ、海の香り、地肌で感じられる、というか、
頭の皮膚感覚が、取り戻されれるというか、すごく気持ちがいい、ということ。
海女に同行するようになり、フードをかぶって潜るようになった時(日本列島の海で、水温が低いことや見えない海に潜る時、脳、頭を守るために不可欠)に感じた違和感(沖縄ではほぼフードを被らない)よりも、何も被らずに潜った時の開放感は、大きかった。
きっと、ルーが、小学校で上履きも運動靴もはかずに学校内(校庭を)走り回っていた時と、上履きを履くようになった今とでは、どれだけ窮屈に感じたのだろうか・・・頑張ってるんだな、とか。www
アスファルトに覆い尽くされた、大地、地面は、なんて窮屈なんだろうな、とか・・・www
伝統空手の修行で、動きを最小限に、窮屈とも言える動きを続け、身体を締め付けられ、海中の開放感を改めて知るように・・・
本当は、比較なしで、きちん自身のセンサーを働かせ、判断できるようになるのが一番いいんだろうけれど。
私は、まだまだ体験不足で、それができない。
だから、まだ比較が必要なのかもしれない。
それに頼らず、見る力、感じる力を、つけていきたいと願うけれど。
2019年6月17日
2019年5月16日
移動ばかりの日々だった。
大地に根を張らず、
葉から空気中の水分を吸収するというエアプランツのごとく、
そうやって生きることを続けてきた私にとって、
止まる、という生き方が、未だわからない。
乳飲み子をの残し、妻に先立たれた海人が、
「一人で子供を育てるのに、
海(中)の仕事は、続けられない・・・・」
サバニを作っていたおじいのやり方を思い出し、海から陸に上がり、
サバニ職人になったオジィの話が忘れられない。
2019年5月13日
水圧で、ギュッと体を締められているのは心地よい。
きっと、お腹の中にいる赤ちゃんは、こんな安堵感があったんだろうな、とか、海の中にいると思う。
今、陸上の修行で、
体を締めることができなくて、困っている。
使ったことのない、体の動きをするのは、想像以上に難しかった。
水中と陸上。重力との向き合い方もそうだ。
身体の軸の移動が、うまくできない。
二本の足で、大地に立ち、大地からのパワーを全身に送る。
アバラをくっつける事もできない。
水の力がやってくれていたことを、
自分の意識で、ぎゅっとする。
これができない。
身体の隅々まで、意識して動かすことで、
パワーやキレ、スピードや重さを出す。
理屈でわかっても、身体ができない。
それに対応するための身体を作るために、
時間がかかる。
もっと簡単に考えていた。
「違うことをする」とは大変なんだなぁ、と、
今更ながら思っている。
博打のような人生・・・でも、そうしか生きられない。
私は、生き抜けるか。
前に進むしかないけれど。
母になって
私の生活は、大きく変わった。
いつも海にいた頃、
あの時のような笑顔は、もうできないかもしれないけれど、
陸でのいろいろな経験を通して、一歩づつ人間に近づいているような気もする。
船と船で、海を挟んで、
時には、海に浮かびながら、大きな声で話しをし、
大自然の中で、小さな人間の存在を感じ、細かいことでくよくよしない、そんな海辺の人の特性をしみじみ思い出しながら、
いろんなことを分かり始めている。
海と海辺の暮らしは、私の嫌な、嫌いな部分を打ち消してくれていたんだな・・・
あと10年もしたら、息子は自分の人生を歩み始め、
私の元を離れているかもしれない。
その時、私は、どこで、どうやって生きていけるのか。
それまでの時間を、息子と二人、どうやって生き抜くことができるのか。
お母さん・・・親になる、ということは、大人になるということは・・・
今更ながら、そんなことを、ふと思う、母の日。