2015年6月アーカイブ
2015年6月29日
魚部
えさ取りにいったはずが、またまた生き物捕獲して、
日に日に増えて行く我が家。。。。
数ヶ月前、魚部基地にお邪魔したルールーは、
その事を意識してか否か、わかりませぬが、
「虫博士になりたい!」と。
身近な自然と生き物、人々の暮らしに興味が有る人が集まる場「魚部」。
(活動拠点は、北九州。でも会員は、全国各地に点在。)
魚部基地には、レアな専門書&出版物、各種水槽、標本に、
水生昆虫イラストやら、まぁ〜どっさりとルーの興味の対象が。w
ご縁あって、私も参加させていただく事になり、
ギョブマガジン「ぎょぶる」創刊号にも執筆(フォト掲載)
させていただいております。
「生き物を相手にする漁師や海女」という人々の写真が中心の私ですが、
息子のお陰で、生き物そのものにも、関心が出て参りました。w
知らない事ばかりなので、
新しい世界に踏み込み、ちょっと楽しい。
私の活動「ギョバグラフ」
(漁場という世界ををグラフィックにて表現)
も、広がって行くようで、うれしい。
「ギョ」という響きが好き。
ギョ、繋がりで、よろしくです!w
2015年6月28日
2015年6月26日
お引っ越し
昨夜捕まえた、ちびカマキリ。
「こんな狭い虫かごでは、死んでしまうから、学校へ行く前に離しなさい!」
と母にいわれ「いやだ、いやだ」のルールーは、
今朝、すっごい早起きして、大きな観察ケースを洗い出した。
自分から汚れた物を洗うなんて、初めてじゃない? w
小雨降る中、たわしを使って、奇麗にし、
カマキリが住める環境づくり。
母、生き物の飼い方、知らないので、これで大丈夫なのか、わかりませんが、
「カマキリは生きている物を食べるんだよ」と、
ダンゴムシやら、その他小さな無視も捕まえて、入れてる・・・
「土も、買ってね!種も、買ってね!」と前々から、
生き物を飼いたがっている息子。
まずは「生き物の飼い方図鑑」買ってあげようかな。
生き物の事、私も勉強しないとならないし。
子供と一緒に学べたら、楽しいし。
少し肌寒い、本日。
今日も一日頑張ろう!
2015年6月25日
2015年6月23日
浜島るー
今日は、時々晴れ。
室内にもさわやかな風が吹き込み、そわそわ。
でも「デスクワークの日」と決め、
パソコン前に頑張ってしがみついてます。
www
4年前って、仕事レベルでは、最近なんだけれど、
子供の成長を照らし合わせると、凄く長い(?)時。
2011年の写真データを検索中、
約3ヶ月間過ごした「浜島」でのかわいらしい息子の姿が。w
あの時は、あの時で「すっごく大きくなったな」と思っていたのに、
今見ると、頭がでかくて、表情も幼くて、天使のようで、かわゆい♡
虫取り、カニトリに目覚めたのは、ここで、だったね。w
まさに、風光明媚、自然を満喫できる「志摩の国」です。
2才のときは、浮き輪をつけたけれど、今はもう、いらないね!!!
その間に、引退された海女さんもいらっしゃるけれど、
あの時も、昨日も、今日も、潜り続けていることは凄い。
刻々と過ぎて行くときの流れの中で、自然と向き合い、行きて行く。
生も死も当たり前のこととして、過ぎて行く。
写真を見ながら振り返ると、
色々なことが蘇り、色々なことが受け入れられるようになる。
「時」を感じつつ、
でも、そんな悠長なこと言っていられず、
息子が帰るその時が、一つの締め切りなので。www
写真データ、お待たせしている皆々様、すみません。
がんばります。。。。。
2015年6月21日
2015年6月20日
凛々と。
こちらの空手道場のご好意で、
稽古に参加させていただけることになりましたが、
沖縄で「形」中心の稽古だったのが、勝つための実践的な練習。
2人組で、ミットに、蹴り!蹴り!蹴りと、回し蹴り!
そういう動きは、もう十何年もしていないので、
いやぁ〜、疲れた。
股の後ろとか、凄く張っているし、
突きの回数も、これまでの何倍もあって、背中、肩甲骨周辺、筋肉痛。
足運びもだいぶ違っているので、大腿筋がパンパンです。www
全然身体、出来てませんでした。w
まぁ、(沖縄での)子供の中での稽古と違って、
大人(少年らも一部一緒)の稽古なので、
ハードは当たり前かもしれませんが、
相手あっての稽古(組み手)は、すごく勉強になります。
仕事(撮影)のマイナスにならないように、
プラスにとどまる範囲で稽古しないと、意味が無いので、
要注意です。
(好きなこと、やり過ぎてしまう性格。w)
ルーにとっても、凄い刺激なはず。
組み手も、防具を使わず、素手、素足で。
(アップしている写真は、沖縄での大会の写真。
こちらでは、これらの防具を使わず、練習。すごい!)
子供も、ひたすら、キック、キックで、疲れてるみたいだけれど、
わんぱく盛りには、楽しいみたい。
稽古中のさまざまな「間」のとりかたも、凛としていて・・・
内地だなぁ〜と。
2時間という稽古時間内、少年らは、時々クールダウンに、
道場の外へ。
空気も凛としている。(沖縄は生暖かいので。w)
いろんな意味で「内地」って感じです。
私のへなちょこな蹴り、ですが、
「伝統らしい、沖縄の蹴り」とのコメントをいただき、
(その本当の意味すら、私にはまだわかっていない)
沖縄で発祥した空手が、日本や世界に出て、枝分かれし、
どのようなスタイルになっているのか、
外を知ることで、よけいに沖縄の伝統空手を体感できるであろうと、
楽しみにしつつ。
本業は、写真撮影です。
身体の疲れをためないためにも、睡眠、睡眠。
おやすみなさい〜
2015年6月19日
2015年6月18日
2015年6月16日
命の授業。
潜って(モリで突いて)タコを捕っていた時には、
水中で(脳みそやら内臓やらを取り出して)処理してしまうので、
さほど何とも思わなかった(思う余裕が無かった&日々の慣れ)けれど、
台所で処理するのは、結構怖い。
ルーが横に居て「うげ〜、くさい〜、きもい〜」と
大騒ぎしてくれているので、
「そんな事言わないの。食べ物は生き物なんです」とか言ったりして、
勇気づけられているが、(本音w)
し〜んとした一軒家で一人、タコの目玉にぎょろっとにらまれながら、
包丁を入れるのは、やっぱり怖いな。
そうそう、元来私は「水族館嫌い」というか、
海の生き物が苦手でした。
(魚の目が怖い、と。前世で何かあったのだろうと
思うほど大の苦手でした。w)
水中に潜り、同じ世界に浸る事で、それを克服したのだった。w
上から目線だと、やっぱり怖いよ〜。
潜り漁を手伝ったり、撮影したりする中で、次第に慣れ、
何とも思わなくなっていた(訓練の賜物w)事にも気がつく。
「慣れ」って、楽だけど、感度を鈍らせる傾向に有り、危険。
生き物や自然を怖いと思う気持ち、だけれども、
その生き物を食べなければ生きられない私。
そういう「当たり前」の事を感じることを忘れてはならない。
町暮らしで、その機会が減ってしまったり、
その機会を作る努力を怠っていたり、
日々の暮らしに精一杯だと、いろいろ難しい事は有るんだけれど、
だからこそ、
その時の思いを写真(時に言葉で)で綴り、残す。
いつでも、「ふと」思い出し、原点に立ち戻れるように。
新しい教科書を受け取った!
図工と音楽以外は、これまでと異なる教科書。
しんぴか教科書で、音読の宿題。
使用する鉛筆も(那覇は)6B(指定)から、2Bへ。
所変われば、異なる事がいろいろ。
沖縄では、4月に種まきした朝顔は「すでに花が咲いている」のに、
こちらは、まだ「ツルが伸びてきた」ところ。
校庭も赤土から黒っぽい土(マサ土?)へ。
戸惑いも大きいけれど、刺激が多く楽しい時間を過ごせている、みたい。
でも、ちょっとお疲れ?
海辺でまったりとした時間。
誰もいない砂浜、なんて。都市部の海ではありえない。。。。
陸も水中も、生き物うようよのこの環境で、
教科書以外にも沢山の事を学べるはず!
(私も。w)
梅雨の雨天だからこそ、できる充実した時間と経験を。
そして、来る時に、爆発的な力を出せるように。
ルー、がんばろうぜ~!
2015年6月13日
2015年6月10日
祈りの心
戦況の悪化に伴い「お年寄りや子どもが島にいると"軍の足手まとい"になる」とされ、子どもを手元におきたがった親たちを説得して、本土への疎開が始まった昭和19年(1944年)8月。最初の疎開船「対馬丸」が、那覇港を出港して2日目の夜、米潜水艦・ボーフィン号の魚雷攻撃を受けて沈没。犠牲者はおよそ1400人。半数は那覇市等、学童疎開の子どもたち。その「対馬丸」で生き残られた平良啓子先生のお話を、先週、息子の通う小学校で伺った。
戦争は、戦場だけで起こるものではない。
平和な日常も脅かされ、亡くなられた方のみならず、残された人々にも深い傷を負わす。
まだ、戦争は終わっていないのだと、痛感した。
戦争、日常の様々な争い、自然災害や病気感染、
そういったものから子供を守るのは、大人達の使命だ。
環境ごと守って行かなければ、子供達は守れない。
大人がすべき事はなんだろうと、あらためて考えさせられた。
息子が小学校に入学し、たびたび授業参観など、
学校に出入りする機会があり、教育の現場の一端を拝見している。
学校教育に関しては、色々なことを言われているから、
入学前少し心配だった。けれど、
授業の内容はもちろんのこと、集団生活でなければ学べない、
様々な事を体験しているのだと日々、感謝している。
先生はもちろん、ボランティアの方や、父兄、
地域住民のご協力があって、子供達が成長している。
本当にありがたい事です。
子供が出来て、というより、
子供と離れる(学校に通う時間も含め)時間が増えてきて、
より「祈る」ということが、わかってきたような気がする。
沖縄の「神人」と呼ばれる女性達が、自分のためにでなく、
自分の家族のためだけにでなく、村や世界の平和を願う。
それは、身近な人を守るために必要な事なんだと。
少しずつ、わかってきたような気がする。
毎回、旅立ちの前、移動する前には、様々な覚悟をする。
その中に「祈り」が加わり、少しずつ、人間らしくなれてきたよう思えて、
心配事はつきないが、
うれしくも、ある。
・・・さて、と、気合い入れて、頑張らねば!