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2011年8月21日

列車での移動(長旅、思いつくままに)

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東京での仕事が終わらず、また天候不良などで、取材の旅立ちを2日伸ばした。
いつも飛行機メインの移動なので、ひさびさの新幹線+特急列車+車での移動。
家を出て、到着まで、8時間以上かかるだろう。

沖縄(那覇)ー東京、って、2時間ちょっとのフライトだし、そこからの移動も1時間かからない。
今回の移動の半分で着いちゃうんだから、沖縄って近いよな。(近くなった?)
と、あらためて思う。

飛行機に乗ってしまうと、そこはまるで異空間で、外界のことを客観的にしか、とらえられなくなる。

離着陸の前後に、真下の地形を見て、ジオラマを見るように「陸と海とが、まっすぐ区切られている違和感」を思ったり、それでも大きな富士山を、テレビで見るかのように、拝んだり。

新幹線も、窓が開かないので、五感を刺激されるまでは、いかないない。
けれど、それでも自然との距離が近く、考えることが、はるかに多い。

とにかくトンネルが多い。
出来上がっているものを使うだけの私には、それが「当たり前」と以前(学生時代)には、思っていた。
けれど、自然の中で暮らす人々と関わる中で、そこで生きてきた人たち、それを壊し作る仕事で生きて人たち、ということを、いつも意識するようになっていることに気がつく。

もともとそこにあった暮らし。
そして、その自然を壊す時、いろいろな事故も起きただろうし、命をなくした人、家族がどれだけいたんだろうと・・・。

[便利さ]は、数えきれない命(自然の喪失、人間の労力、その他)の上に、成り立っている。

そして、この便利さを、何処まで追求すれば良いのだろうか。
自然が時折起こす、天災は、ある意味その調整機構であるのではないか、と。


***

この夏は、ほとんど沖縄にいれなかった。
・・・と、過去形になってしまうのは、東京がすっかり寒くなってしまったから。
(もともと、東京の春秋は、寒いと感じていたので。笑)

沖縄にいたら、まだまだ夏モードで、そんな焦りはないだろう。
(私の沖縄感覚だと、10月までは、夏の日差しガンガンで、12月までは、海の季節。1~2月が、突然の冬で、3月から春。ゴールデンウィークが、初夏で、6月から真夏!)

「夏(海女シーズン)が終わっちゃう~」と焦る気持ちを抑えるために、新幹線内で、パソコンを開きつつ、今考えていることを綴っている。乗車時間は長いので、制約は、パソコンのバッテリー切れ。

すごい時代になったな、と。(私自身の環境の変化も)

自然の中での暮らしに憧れつつ、移行できない、葛藤の中で生きている。
それが本当に葛藤のなのかも、微妙なところ。(ずっとずっと深いところでは、原点に戻りたいんだと思うが)
そんな葛藤があるからこそ、表現活動ができるのも、事実だし、自然の中で生きる人、人間(動物)本来の能力を持っている人を、本当にリスペクトできるわけだし・・・

*****

人間本来の能力

これに非常に興味を持っている。
沖縄で知った「領域の世界」を追求すれば、わかると思ってきたこと、
今、海女撮影しながら、リンクし始めている。

移動することで、わかること、本当にたくさんあるな、と。

「男は海へ」「女は陸で、こどもを育て、畑を耕し祈り待つ」
この「陰陽調和」に憧れ、疑問を持ち、すべての答えがあると感じてきた。

今、海女の世界で「女が潜り」「男が船で待つ」という逆のスタイルを撮影している。

・・・で、私自身はというと「愛するものと離れ=海に出て潜りながら、(気持ちは)待っている」
向かいながら、待つ、という両方をやっている。

向かっている時、目の前に現れたいろいろな苦難(自然の脅威や、仕事上のトラブル、人間関係などなど)を乗り越え、切り開かなければならない。だから、愛する者のことを胸に秘めても、そのことばかり考えていられない。

昔、海人が怒って言っていた。
「好きか嫌いか、はっきりしろ~!わじわじした気持ちで、海に出れるか~っ!」
いつ死んでもおかしくない環境に、出ていく時の気持ちは、そんなものだ。

でも、「待つ」ことをしてこなかった私には、逆の気持ちがわからなかった。

「愛する人が向かう(住む)場所が、戦争の無い平和な世界でありますように。」
「津波などの天災がなく、食べ物も沢山ある(とれる)豊かな場所でありますように。」
「事故や事件に巻き込まれることがありませんように。」

息子と離れると、いつも、いつも不安になって、そう思う。
でも、「大丈夫「と、信じるしか無いので、それをかき消す方法は、仕事に集中することだ。
息子が生まれるまで、私は、そうやって、いつも、(夢や仕事に向かって)前に進むことで自分を支えてきたの。だから、常に動き回っていて(?)誰かと、うまくやっていくことが難しかった。
(?今も変わらない?苦笑)

「母子」とは、それでも繋がっているわけで(と、信じたい)
私の気持ちは、見えない息子の近くにありたいと、願い続けている。

息子の目に映る世界が、私の目に、そのまま映ったらいいな・・・と思った時、
「あっ」と気がついた。

海に潜っていない夫が、何故、「海中のこの場所、この深さに、アワビがおる(から、行ってこい!)」とわかるのか、と。それを信じて、妻が潜ると、そこに本当にいる。

また、海人(夫)が、遠い海で働いている時に起きる「なにか」を、陸で待つ妻(母)が同時に感じられたりするのかを。

動き回っているものの意識は、「前」にあるが、
止まって、祈る時、その意識は、「思うモノのところ」にある(向かわせる)。
祈りということは、シンクロさせるということ?!

無線で電話もつながるように、人と人の意識はきっと繋がる。

***

おじいちゃんが亡くなる前に、私は呼ばれた。
身体が動かなくなった祖父は、意識を飛ばしてきてくれ、それを私がキャッチできたから、意識が身体にあるうちに、私はこの世で、最後に会うことができた。

まだ、携帯電話が普及する前の時代の話。

昔から、虫の知らせ、というのがあるように、人間が本来持っている能力。
「シンクロ」

携帯電話もパソコンも、今より数百倍苦手だった私は、ベルが鳴る前に、電話がなるのに気がつけたし、自動ドアの下に聞こえる高周波や、街中にあふれる様々な音を聞き取れた。だから、すごく、住みづらかったんだけれど・・・。

人と人、人と自然、地球と自然、すべて繋がっている。
海の中のイルカや鯨が、遠くはなれば場所で会話できるように。
人間も、人間以外のいろんな声を聞くことができたはずだ。

人間中心の社会で、前にばかり進もうとしているときには、見えなく、聞こえなく、感じられなくなってしまうのかもしれない。

でも、人を愛するものを思う気持ちをもって、ありのままを受け入れることで、離れたものと繋がることは、出来るはず。

そのきっかけとして「母になる」これは、大きな入口の一つではないかと。
(自然の中から、その声を聴けるようになる方が、難しいような気がする。
生まれながら、そういう環境にいれば別かもしれないが、都会→自然だと、時間がかかりそう。
女→母 の方が、入りやすいんじゃないかしら。ホルモンバランスも、いきなり変わってしまうわけだし。すごい変化を一気に体感できる、素晴らしい機会だし、天から全体を見下ろすか、隣にあるものを愛するか。中間がやりにくいのでは、というのが、私の人生観。)

残念ながら、「私の仕事や生き様は、息子が大きくなった時に、それを見て理解してくれればいいや」
なんて、父親のようなことを言っているのでは、母と思ってもらえるかわからないが、「産む」という、女ではできないことをした、ということは、まだまだその可能性があるわけで・・・。(笑)

そんなことを、最大のテーマに、撮影しつつ、追求していきたい。

「追求」ってのが、すでに、欲望の塊みたいで、そのハードルを上げてしまうような気がするが、私は表現者として、そういうことをやっていきたい。


            生誕◯◯年と1日目の午前中。
            息子とずっと一緒にいたい、写真家の母より。

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このページは、古谷千佳子が2011年8月21日 12:38に書いたブログ記事です。

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