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2012年8月24日
夢日記
夢から浮かぶリアルな感覚は、
写真と言葉じゃ、無理な領域?
体内の血液、体液と、海水とが交じり合う感覚、、、、
言葉にすればするほど、消えていってしまう「感覚」
あぁ、私の頭の中には、絵のようなカタチで、描かれているのに、
言葉にすればするほど、、、、消えていってしまう、、、、
あぁ、やっぱり駄目だ。
メモ書きとしてのパソコン、、、、、
ネットへ繋がれてしまうこの環境で、、、頭が冴えてしまって、
夢に近い状況での「思い浮かび」は、やっぱり絵日記じゃないと、駄目だ。
人と人とを繋ぐコミュニケーションである「言葉」は、
自分の、身体感覚から離れて行く。
パソコン触ると、ビリビリしびれてしまっていた
あの頃の私のように、
やっぱり夢絵日記しかない?
便利さで失われてしまう「能力」は、
アナログに戻さないと、蘇らない、、、、のかな、やはり。
大切なことは、何か?
今の今、
夢のなかであの世界に戻れるのか?
皮膚という皮一枚を突き通した、
液体の交じり合う感覚は、
子供のころ、感じた「あの子は私、私はあの子として生まれてきても良かったに、何故、私だったんだろう」と感じた時の、あの感覚に近い。
沖縄の祈りの世界の中で、感じられた、何かに近い。
私は、瞬間でしか、捉えられていない、その感覚は、
本当はきっと、永遠で、
それを感じ続けられる人が、神人や司、
その他女性の中に、いるんじゃないか?
私は、彼女じゃないから、彼女たちの感覚は、本当の所、わからないのだけれど、
水と融合するような、その感覚に近いんじゃないか、
だめだ、言葉にすればするほど、離れていく。
これは、言葉で伝わることでなく、
カタチにすることで、伝わるかもしれない「感覚」なんだ。やっぱり。
そういう、どうにもならない「感覚」をカタチにしようという行為と、
写真と言葉は、近くて遠いのかもしれない。
〜夢うつつの戯言です。
私が生涯をかけて表現したいこと、掴みたいことを、わかりたいことは、この先にある。
自分がわかるために、書いてるだけです。すみません。
アップ写真は、不親切を親切にしたかのような、追加写真です、すみません。
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