« 10月3日 琉球新報 連載コラム「南風」掲載されました。 | ホーム | 那覇大綱引 »
2012年10月 3日
死んだ後のこと・・・
これまで散々好きなこと(写真や海)をやっていきてきたので、
いつ死んでもいいや、位の勢いで生きてきた。
でも、子どもが生まれ、子どもの未来を見たいと願うようになっている。
同じ釜の飯を食った仲間、大学の部活の友人が、
癌で手術をした、と連絡が入った。
今では、同じ小さな子供を持つ親として、心配が絶えない。
以前撮影してくれた、カメラマン・レスキー・リー氏
が、スタジオで話してくれたことを思い出した。
「シングルマザーで育ててくれた大好きなお母さんが、
13歳で亡くなってからは、色んな人達に支えられて生きてきた・・・
お母さんを助けてあげてね。」
そう、当時3歳の息子に伝えてくれた。
アジアNO.1フォトグラファーと呼ばれる、彼は、お母さんをテーマにした、いろいろな活動を行なっている。
マイナスをプラスに変える人の成果を見ると、
本当に励まされる。
両親揃った一般的な家庭で与えられるものは、
あげられないが、
生きるための力・・・
それを、どうやって子どもへ伝えられるのだろう。
同時に、私は、まだ死ぬわけに行かないし、
それでも、死はいつ訪れるかわからない。
毎日を精一杯生きなければ、と思う。
仕事しながらでは、時間の制約は、どうしても外せない。
だからこそ、子どもとの時間を大切に過ごしたいと日々思う。
トラックバック(0)
トラックバックURL: http://blog.chikakofuruya.com/mt-tb.cgi/1581
そうですよね。
生き物である以上、いつかは死を迎える。
うちの上さんがよく言っていた。
「毎日海に送り出す時は、覚悟する」と。(子供が3人いた)
確かに、自分も無責任のようだが、海に出た以上、
覚悟をしている。何があってもしょうがない。 と。
何人も「シージャー」にやられた人を見たし、亡くなった人もいた。
もちろん、自分も何度もやられた。(死ぬかと思ったこともあった)
今思えば 都会も海も危険はいっぱいある。
自制さえできれば、海の方が安全かも。
一日一日 一生懸命生きるしかないね。
「海へ出る男を待つ、女の気持ち」
本当の所、それは未だ、わからないのだけれど、
「大切なモノを持つ」ということは、心配事ができることだ、って
子どもを持って初めて知りました。
身軽に生きることをモットーにしてきたので。
海にいると、死が近いところにあると、常に認識できたけど、
街にも、予期せぬところでの死がありすぎて、本当は怖かったのですね。
幼きものと一緒にいて、それも知りました。
心配ばかりしても、仕方がないので、
その危険を回避する術を身につけさせるしかない。
生活の一つ一つを確認しながら生きる、ということを、
子どもから教わりながら、暮らしています。
子育ては、自分育て、なんだと、日々実感し、感謝しながら(^-^)/~~