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2007年4月11日

M6行方不明

4-10ブログIMG_1155.jpgずっと一緒に歩いてきた相棒「M6」が行方不明。どこか安い宿に泊まって、気がつくと小さいカメラバックごと盗まれてしまった、という夢を見た。なくなったことに気がつくのが遅すぎた私に、更にがっかりした。そんな夢って初めてで、目が覚めて凄く寂しい気分だ。そういえば、最近全くフイルムで撮影していない。どんなに貧乏しても『暗室』を優先して部屋を改造してきたのに、引っ越してから暗室もまだ作れてない。現像所にも顔出していないもんなぁ。「真実」を写す『写真』。『光』を意識して作る『光画』という写真。今の私はどちらかというと後者がしっくりくるのかな?「光と陰」=陰陽の世界。こちらを表現する為に必要なのは、機材じゃなくて「心」だよね〜。どんより曇り空を吹っ飛ばし、そろそろ出かけていきますか!!!身体が止まっていると、脳内ばかりが動き回り、ちょっと疲れます。今日は、あちらこちらからお電話の連発。生まれてくるものもあれば、去っていくものもある。お世話になったオジィ、オバァが、どんどんいなくなってしまう。人間も、こうやって時の流れの一つの線であって、循環しているのはわかっていますが、、、、。行かなきゃ行けない場所、いっぱいあるな。私には。まずは、片付けしないと・・・。

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悲壮感漂う夢を見たとき、自分の内にこんなネガティブな志向があるのかと、反省するやら落ち込んでしまうやら。逆に、何でもアリの楽しい夢をいつも観られることができたら良いのだけど...そういう都合の良い夢って、私はなかなか見ることがないのです。みなさんは、どうでしょうか?

昔、猫の様に手足をパタパタさせながら地面スレスレを飛んでいる夢をよく見た番です。(地面スレスレというのが、我ながらナサケナイ)
大事な物がなくなってハッ!とする夢。何かを感じたんでしょうかね?
人がこの世に現れて、そして去って行くのはどうする事もできない自然の摂理。今現在に限ってその人の一生・その人との関わりのあった時間を考えればとても短いものなのかもしれないけれど、太古からの命の循環と連鎖で考えると、命というのは38億年前から途切れ無く続いているのですよね。今日の自分があるのは38億年前からの見知らぬ誰かのお陰でもあり、また今日の命はまだ見ぬ誰かへと繋がってゆく…。それを考えると生命というのは偉大です。

あははは〜!!!猫のようにパタパタって、かわいい!!!大事な物って、なんでしょうかね。命の循環かぁ。私は、未だ、バトンを受け取っただけなので、わかったつもりで、何もわかってないのでしょうね、、、。きっと。

他人様のことは全く言えない番、またまた登場。
せっかくのバトンを受けたものの、未だ一人疾走中、ウ〜ン。だいぶ昔の小堺一機&関根勤のコントを思い出してしまった。
大滝秀治役関根「オッ、今日はバレンタインデーじゃったか〜」
嫁役小堺「あ〜ら、バレンタインにチョコの一つも貰えないなんて、オトコじゃないわね。ただの生物よ、せ・い・ぶ・つ!」
身にしみる…。

後から読んで気になったので、どうでもいい補足です。
大滝秀治役の関根勤氏と小堺一機氏の関係は、お父ちゃんとその息子の嫁です。義父と嫁という設定です。冷え切った夫婦関係ではございません。
そんだけ。

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このページは、古谷千佳子が2007年4月11日 00:01に書いたブログ記事です。

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