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2007年4月27日

貝づくし。宮古島の海の幸

4-22ブログDSC_6281.jpg「知・徳・体育」の三位一体の教育が大切だという教育方針のもとで高校生活を過ごし、「全人教育」という、全人格的教育をモットーとした大学生活4年間。それが当たり前だと思って過ごしていた良い習慣も、すっかり抜けてしまっている事に気がつく今日この頃。(海・撮影の) 現場現場で、なんだか、新幹線に乗っているように、慌ただしく時間を過ごしてしまってきた。各駅電車に乗って、ひとつひとつしっかり、見て、考えて、歩いていきたいなぁ〜と思うようになった時、『食育』という言葉が耳に入ってくるようになった。
「食育」が生きる為の基本であるという事が見直され、昨年『食育基本法』成立に至った時代背景は、過去には当たり前だった「様々な命をいただてて私たちは生きている」ということを感じにくい生活環境になってしまいた、ということなんですよね。悪いガソリン入れると車の走りも悪くなるように、自分の身体になっていく、食べ物達の事を、しっかり考え、実行出来る暮らしをしたいと思う。子供の頃、母が作ってくれた食事。そして海の近くで暮らしていた時、本当に良い食生活していたんだよな〜私は。
家族がいて、、、、自然の囲まれて、、、。
環境が、人を作る。人間は、自分の理想に近づける努力が出来る。
ブログフォトは、この間、池間島でお世話になったお宅でごちそうになった『高瀬貝、サザエ、ティラジャー』等。お子さんは、まだ3歳というのに、ずっと、もしゃもしゃとサザエをかじっていた。結構身がしまっているので、何度も何度も噛み砕き、飲み込んでいた。
お父さんが海でとってきた貝を、お母さんが炊いて、子供は、それをしっかり顎を使い、食べる。その過程もとても素敵で、感動しました。
私の未来にも、そんな暮らしが、、、、う〜ん、、、、残念ながら予定なし。
困ったもんだ(苦笑)。

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コメント(1)

いただきますから始めよう、番です。
確かに、現代は口に入れるものがかつて生きていたものだった事を実感するのが非常に難しいですね。野菜は家庭菜園とかできれば見られても(マンション・アパートとかではそれも難しいですが)、お魚やお肉はほとんど加工されたものをお店で買ってきますから。
ただ、口に入れるものが「おいしい」とか「おいしくない」といった事だけでなく、命を頂くという意識がもっと広がればいいのにと思います。
以前にもコメント入れましたが、C.W.ニコル氏の本の中に出てきた言葉。
『日本では食事に前に「いただきます」と言う。これは外国語には無い言葉です。』
「いただきます」即ち「命をいただきます」という事。素晴らしい言葉です。

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このページは、古谷千佳子が2007年4月27日 03:05に書いたブログ記事です。

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