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2008年12月28日

漢字を書く〜其の二「新しいエネルギー」〜年末の考え事

12-28-2ブログDSC_4082_2.jpg吸収したものを、本当の意味で「表現」する時が来たように感じる。「表現」とは「脳」を使って行う行為なんだという事に、今更だが、本当にわかったような気がする。

「身体」が吸収し、「写真」で表現。
「写真」は、その一枚を撮る行為に、思考、感情、身体の感覚、相手との人間関係、自然との関わり、様々なものを必要とするが、撮っただけでは、表現とは言えない。
「1枚の写真」を見せる事が「表現」なんだから。私のこれまでの写真は、被写体、自然とかかわり合う為のコミュニケーションツールまでで、とまってしまっていた。極端な言い方をすれば、それ(写真家と言う私と、写真)を取り上げてくれた人が「表現」してくれていたとも言える。
いかに私が「自然」の力に助けられて行きてきたのか。(「自然」とは、自然環境とかかわり合った人達を含む)

ずっと、ずっとやりたかった「墨」を使って「紙」に書く、という手段で、年賀状を書き(忙しくて、やれなかったのよ〜)、文字を「打つ」のでなく、腕、身体を使って「漢字を書いた」時
に、様々な「脳」が刺激されるのを実感している。おもしろい!!!
そして、それを再認識したのだ。(これは、前回のブログの続きです)

身体を使い、考え、形にしようと努力する、そこに技術を駆使したものが「表現」

私には、自然体験をいう、感謝すべき、沢山の貯蓄がある。
身体に刻まれたものは、消えることは無く、それを引き出す「糸口」さえあれば、いつでも引き出す事が来出る。(心身貯金箱だね)
「過去の写真(と過去の体験)」にとって、これから「撮る」ための自然体験は、新しい「糸口」ともなる。これまでの「貯蓄」としてのハードな自然体験と接点を持ったときに、すごいエネルギーを持つ、予感がする。

(長いので「次回に続く」にします。脳みそを刺激される出会いがあってから、次々、いろんな考えが動き始め、溢れるように過去の出来事が思い出される。「脳」によって「解凍」が始まったみたいです。笑!)

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このページは、古谷千佳子が2008年12月28日 17:02に書いたブログ記事です。

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