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2008年12月27日

写真について。思いつくままに、、、、

12-26ブログDSC_4868.jpg色は音楽のように、時には暴力的に心の中にぐいぐい入り込む。
写真を読み取る力がなくとも、人の目に刺さるように、鮮明な色が飛び込んでくる。

(生死に関わるような)サバイバルな環境下で男女が一緒にいると、それは恋愛のドキドキと重なり、恋に落ちる事が多い、という事を聞いたことがある。
嬉しいドキドキ、苦しいドキドキを時には脳みそが間違えてしまうのか、、、

色は感情に直結するから、受け身であっても、何かを見たような気になれるのかもしれない。「写真を見る」とは、1枚の紙の中に映し出された「絵」を見る人、撮影の技術を見る人、テーマを読み取ろうとする人、被写体として写っている「人、物」を見る人、写っているものの背景(写っていない、過去であったり)の世界を見る人、、、、
様々な「見る」が存在する。ギスギスした味付けは嫌い。昔から「和食」が好き。
ご飯とみそ汁に、納豆。切り干し大根とか、おかか、、、、
素材の味が壊されていないおかずが好き。昔から、あまり好みは変わらない。

素朴なものに引かれるのは、何故なんだろうか。

ドキドキする写真も時には刺激を受けて面白いが、やっぱりモノクロが好きだ。
「空間」のある写真、絵。想像する余地のあるものが好きなのか、、、。

着るものも、紺や黒色TシャツにGパン。
ちょっとは色気も必要かと、たまには身につけるようになったが、どうも落ち着かない。
自分のやるべき事に集中したいから、うるさいものを身につけたくない。

衣食住、自分の身の回りに集めてきているののが一番の自己表現。
それを改めて見てみると、一貫しているのは「シンプル」自分の好奇心の矛先が決まってしまっているからなのか、、、決めつけるつもりはないのだが、昔から、あれもこれも興味がある方ではない。その積み重ねが人生だから、、、、ここまでの人生、波瀾万丈では
あるが、これも確かにシンプルかもしれないと、振り返れる。


誰かの写真を見る時、自分の表現について、とても考える。
それは、私が、何かを表現したい人だから???

自分のメッセージが必ずしも伝わるとは限らない。
最終的には、見る人に委ねるのが、写真。すべては、人の質によるのだ。

だけど、私は追求する。自分のメッセージをよりわかりやすく伝えるには、技術を高める事なのか、その他の環境を整える事なのか、、、、。

結果は、どうであれ、きっと、あれこれ、試行錯誤する、その課程が実は楽しいのだ。

考える楽しみ、それを実験(実践)する楽しみ。その反応を味わう楽しみ。

何かを生み出す。苦しみと楽しみは、裏表なのだ。

マイナス100は、プラス100。マイナス1は、プラス1。

大潮と小潮、どっちを選ぶ?私は、もちろん「大潮」!引く力も押す力も激しく強いから、リスクは高いけれど、あたった時の獲物、そして喜びも大きい!

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