« 髪切虫。 | ホーム | 波の上ビーチにて。 »

2009年1月15日

おとなのたまり場

1-15ブログIMG_0163.jpg今日は、「おとなのたまり場ボンビバン」http://bv-bb.net/のブレーンストーミング会議&新年会。(私はそこで、野遊び隊員として「おいしい沖縄」
http://bepal-okinawa.b.bv-bb.net/ を連載しています!)

直訳?すると、ブレーン(頭脳)で問題にストーム(突撃)する、という意味らしいのですが、あるテーマを巡って、自由奔放にアイデアを出し合う会議形式の事。
今の時代、がむしゃらに頑張ればいい、とはいかないので、、、頭を使わねばならないのよね。南国でとろけた脳みそを、寒さでキュッと引き締めて。でも明日から、南国。心身をストレッチといきますか。(笑)

新年会は、小学館の近くの、とある沖縄料理屋さんへ。
ゴーヤーの少ないゴーヤーチャンプルーと、上品に盛られた海ブドウにジーマーミー豆腐。おいしいけれど、なんか違うもの食べてるみたいでした。
印象的なお話が一つ。「今の子供達は、一次産業という仕事を知らない。」
法螺吹き男爵氏 http://bepal-camp.b.bv-bb.net/ の住まう●●市は、95%がサラリーマン、5%が自由業で、一次産業に従事する人がいない、とか。
(聞いた数字、忘れてしまいました。たしか、こんな感じだったと思います。)
彼の子供時代には、様々な職業につく親がいたから、「今日は、稲刈りがあるから手伝いにいく」という友達について行ったはいいが、田んぼをぐちゃぐちゃにして、怒られたとか、そんな思い出があるという。「様々な命をいただいて、私たちはいきている」なんてメッセージを伝えたいと思っている私は「ガーン」ときてしまった。それ以前に伝えなければならない事、沢山ありそうね。

都会でいろんな人と話をすると、気がつかされる事が沢山あります。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://blog.chikakofuruya.com/mt-tb.cgi/442

コメント(1)

最近ブータンの国王が提唱しているGHPというものを知り、感心した番です。はい、また長いです。前回の比ではないです。長文お嫌いな方は飛ばしてください。

第一次産業を軽んじると後々大変な事になるのではと、最近思います。最近新聞で目にした記事ですが、日本は大豆を主にアメリカから輸入していますが、アメリカでは遺伝子組み換え大豆が主流で日本が買いたい大豆は少ししか生産していません。しかし最近中国が経済発展してきて高値で買うので、日本の商社はより高い値段で買わざるをえなくなっているんだそうです。
今はそれで凌げても、今後30年位で世界の人口は90億人(現在約63億人)になると予想されており、また現在の発展途上国が今後経済発展してくれば世界中で食料がより必要になり、そうなれば食料は間違いなく戦略物資になります。人間お金がいくらあっても食料が無ければ生きてはゆけません。それは第二次大戦中や直後に日本では経験済みなのではないでしょうか?お金で買おうにも、食料そのものが少なければ売ってはくれないでしょう。長い目でみたときに将来に備えて今から自国で食料を確保する準備が必要なのではと考えるのは、杞憂でしょうかねぇ?
それともうひとつ。日本は年間に1900万トンもの食料を廃棄しているそうです。これは2007年の世界の貧困層への食料援助の5倍になるそうです。コンビニ等からでる廃棄食料は、最近家畜飼料へのリサイクルが進んでいるそうですが、家庭から出るものはそのまま廃棄が多いと思われます。ここを改善するだけでも食料自給率って上がるんではないでしょうか?

それと第一次産業を知らないという事に関してここ1〜2年考えるのは、世界中の多くの人々は人間が生物なのだという事を忘れてしまったのではないかという事です。東京に住んでいて感じるのは、東京(特に23区内)って人間と人間に飼われている者以外を本当に駆逐してしまっているな、という事。周りをみな人工物で固めてそれ以外に触れることのない生活をしていては、自分が食べているものがどのように生産されたり捕られたりしたのかや、それがかつて生き物であった事など想像もできないのではないかと思います。口にするもの以外でも、他の生き物も人間も同じ地球上で生きている生き物に変わりないという事に思いが行かなくなってしまうのではないかと思います。
第一次産業とは別ですが、最近沖縄市の泡瀬干潟が埋め立てられようとしているのをニュースで見ました。住民が起こした裁判で経済効果も計画も不明瞭との判決が出て工事への支出差し止め判決が出たにも関わらず、工事に着工したとの事でした。工事の効果も目的も死に体となり、干潟には絶滅危惧種の生物もいるのにです。正に、都市化した人間の考える都合だけで他の生物が翻弄されてゆくだけではないかと憤りを憶えました。
人間は脳の発達により文明を手に入れましたが、脳内だけで考えた世界だけで生きるのではなく、脳内だけでは考えもつかない世界があり、その世界とも折り合いをつけながら生きてゆくべきではないかと考えます。

以前ネオネイティブという記述がありましたが、現代的な生活を受け入れながらも自分が自然のサイクルの中の一つだと意識し行動できる人も、ある意味ネオネイティブなのではないかと思ったりします。

コメントする

月別 アーカイブ

OpenID対応しています OpenIDについて

このブログ記事について

このページは、古谷千佳子が2009年1月15日 00:47に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「髪切虫。」です。

次のブログ記事は「波の上ビーチにて。」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。