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2009年8月17日

送り盆

b_DSC7555.jpgおじいちゃんが無くなって、もう20年近く経ってしまう。
大学を卒業し,就職、そして沖縄へ飛び立ち,海の仕事に従事する。
写真の道を歩みたいと,スタジオマンやカメラマンアシスタント、そしてカメラマンから写真家へ・・・。
昨年の迎え盆に,この世で出会った新しい命。そしてあっという間の1年と2日目の送り盆の今日。(もう日が変わってしまったので,正確には昨日)

あれから,約倍近く行きてきた訳だが,私を始め,家族、親戚,その他大勢の心の中で生き続けているおじぃちゃん。「心」だけじゃなくて「体」の中にきちんと生きている。
そう強く思うようになっている今日この頃。

40万個もの卵子の1つと4億個の精子の1つが巡り会って、ひとつの命が生まれる。およそ10ヶ月の後に,母体とへその緒が切られ,この地上に出てきたときを「誕生」と呼ぶ訳だが,最近,思う事は「その子の人生は,お腹の中から始まっている」という事。
きちんとお腹の中で,この世にいる人間でいうと、五感、六感(本当はもっと原始的でより深い全てだと思うのだが,言葉が見つからない)で、外の出来事を全て感じ吸収している・・・いやいや、それよりもずっとずっと前・・・つまりは、精子と卵子が出会う,ずっと前から,始まっているんだ。要するに,私一人の時から・・・私は,両親から産まれてきた訳で,その親であるおじいちゃん、おばあちゃんのずっと前から,始まっている。

DNAと言っちゃうと、なんかちょっとニュアンスが違うような気がするのだけれど,ご先祖様との繋がりを強く感じるようになっている。

「時間軸」という縦糸と,日々過ぎて行く「社会」という横糸があってこそ、布がしっかりする。どちらを引っ張り過ぎても駄目で,そのバランスが大切。
がむしゃらに走り続け、「精一杯の積み重ねが大切」と思ってきたけれど,どこかバランスが悪かったのは、そういうことなんだ!って事が、送り盆の最中に降りてきた。

時間とともに,その形を変え続けて行くかもしれない,様々な伝統行事や信仰。
時代が変わるのだから,形が変わるのは当たり前で、でも大切なことは、そのものへ対する思いだと思う。

「縦軸」はそのルーツがより明確であると、より強くなるのかもしれない。沖縄の人は、自分のルーツを知っている。だから家族、親戚、一族の結束が固く、伝統行事も生活の中に根付いているように思えてならないのだ。

「思い」を伝えるって、その前に,自分自身が「形」だけでなく「心とその意味,真意」を知らなければ、それは嘘になり、きっとどこかで崩れてしまう。

私には、人間として、もっともっと知らなければならない,大切なことが沢山ある。
「自分探し」の「自分」ではなく、「人間としての自分」を。
回りに振り回される事無く、しっかりじっくり足下を見直し、進めなければならない。

死んだ後、何処へ行くんだろう。

これを考え始めると,大変なことになってしまうので,これでおしまいにするけれど、産まれる事と死ぬ事。
自分のルーツ、そういった原点を考えないで入られない、送り盆の今日。

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このページは、古谷千佳子が2009年8月17日 01:04に書いたブログ記事です。

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