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2011年12月 4日

竹林で思う。

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素晴らしいお天気!でも、海は時化、海中は濁り。
海賊い◯かさんも、出漁せず。
明日は、海女漁があるということだが、
なんだか気分が乗らない。

やることが多すぎる12月。
そういう時は、やらねばならないことをきっちりしてからの方が結局いい仕事できるかな、と。

撮影も、条件が合わないと出来ないけれど、
来年の今の季節まで待つことが出来るようになったのは、
お母さんになって、時間のスケールが変わってきたからか?
年をとると、誰もがそうなるものなのか?

わからないけれど、
確かに「自然(子供を含む)」を相手にして、ものさしのメモリの長さが変わった。
自然相手に、街のものさしを持ってくると、おかしなことになる。

「今回は、あきらめよう」と覚悟し、
メインのカメラ機材を送り返した瞬間、見えてくる世界が変わる。

車を走らせ、飛び込んでくる景観。
海、山、青、緑。

大きな景色の中にアルモノを、小さなカメラ(サブカメラ)で撮ろうとすると、引いた景色しか写らない。
レンズに付いているのは、20ミリの単焦点レンズ。

その中のアルモノを、もっと大きく撮ろうとしたら、被写体に近づかなければならない。
自分が心地よいと思う画角におさまる場所まで。


泥濘の上を、歩いて近づく。

もっと、もっと、前へ、前へ・・・
崖をよじ登り、数メートルのところまで行くと、

ニューニューと、風が抜けていく音がする。
通り拔ける風は冷たく、肌を突き刺す。
乾燥した空気が、鼻の中を刺す。

カタカタ、ギシギシ、
竹と竹がぶつかる音が聞こえる。

こっちへ倒れてこないかと、不安になる。

この細長い竹を支えている根っこ達。

今の私の関心ごとの一つ「根っこ」。
大地に種を落とし、芽を出し、次の命を落とすまで。

遠くの景色を近くに引っ張ってしまう望遠レンズでは、感じられない、臨場感。
広角レンズで近づいて、その場の空気を肌で感じ、
いろんなことが、本当に「わかる」のだ。

海に潜るのも、そう。
陸にいてはわからないこと・・・海の上にいてもわからないこと・・・
同じ場所に入り、同じような境遇にあって、感じられる。

世の中に、お母さんて、どれくらいいるんだろう。
住んでいる場所、持っている仕事、環境、すべて違っても、
命を育み、次の命に繋ぐまでの思いは、同じなんじゃないか、と思う。

感じるための写真撮影に必要なことは・・・
その場に近づいて撮ることが出来る機材だ。

制約の中に、自由がある。

そのことを思い出した。

諦めという覚悟だろうと、前進するという覚悟だろうと、
本気で「決める」ということが、何よりも大事なんだろう・・・と。


・・・しかし、まぁ、いい大人が、つるつる滑りながら、崖を降りてくる姿は、間抜けだったろうなぁ・・・子供たちに見られたら「いっけないんだ~!」と叱られるかも。

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私的には、こういう場所で、どんどん遊ばせてあげたいんだけれど。
(私は工事現場や、裏山で遊ぶのが大好きだった。何度叱られても、こっそり抜けだして、出かけていたけど。親の目からしたら、面倒な子供だったはず...)

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このページは、古谷千佳子が2011年12月 4日 19:31に書いたブログ記事です。

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