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2012年8月22日

言葉の壁

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体験を伴わない言葉、を不審に思い始めている。

よく言ってしまう「私はオッサン化している」。

オッサンって、なに?

私が言いたいことは「身なりを全く気にしなくなっている」ということなのだが、
果たして、オッサンが、身なりを気にしないのか?といえば、そんなことはないと思い直す。


勝手な私のイメージだ。(オッサンと思われている方々、すみませんm(_ _)mm(_ _)mm(_ _)m)

ギャル化にしても、そうだけれど(もう死語?)
ヤマンバみたいな人は、もういないかもしれないのに、そういった勝手なイメージをある単語にあてはめて使っている。

昔から使われている言葉にしても、同じくで、
言葉で伝えようとしていることは、どこまで伝わっているのか。

「海」のイメージもしかり。
沖縄の海を知る前の私の海のイメージと、今とでは、まるで別もの。

それでも、自分の体験を伴う言葉に関しては、伝わっているかはともかく(無いとしても)、
言っていることに対しての自信はある。

良くないのは、知らないことを、話す時。
人に対して、ではなく、自分自身が間違ったことをしている気分になる。

だから、語れることが、少なくなってきている。

いろんな体験をしないと、言葉は出すことができない。

*****
もともと、机を挟んで、人と話すことが苦手だった私、
だから、
絵を書いたり、体を動かしたり、カメラをコミュニケーションツールとして選んだのだ。

海人と海の上で会話のない時間が、好きだった。
言葉でなく、行動がすべての世界が、安心できたのだ。

それらの体験したことを、伝えたいと、写真と言葉を扱うようになってきて、
だいぶ時間がたってきて、
最近、また苦しく思う時々。
ようやく「表現者」としての入り口に立てたのか。

 〜最近思うこと〜徒然なるままに。

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このページは、古谷千佳子が2012年8月22日 23:03に書いたブログ記事です。

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